Instagramが真っ黒に
6月3日前後に人種差別のことをブログに書こうと思ったが、途中で書くのを辞めました。多くの人が発信しているのを見て、書くのを控えようと思ったのです。でも、知ることは大事。
わたしの考えや主張ではなく、経験したことを書き留めておこうと思う。
1999年わたしは、アメリカのワシントンD.C.に語学留学をしました。
映画好きで人種差別がテーマの映画もたくさん見た。人種差別の問題は知っているつもりであったが、実際に差別を受けると未知の世界を知った感覚になった記憶がある。
わたくしが住んでいたのは、バージニア州のフェアリントン辺り。ブラッドリー・ショッピングセンター徒歩圏内に住むバーバラという女性の家の地下の部屋。2つ部屋がありトイレ、シャワー付きでとても良い環境。
日本でも、人を差別するようなことはあるけど、露骨な差別や区別、区分けみたいなことを徹底的に強調するのは、ワシントンD.C.で受けたのが初めてであった。ニューヨークにも住んだことがあるし、旅行だがいろいろな国にも行った。多少なりとも差別はあるかもしれないが、ワシントンD.C.では比べようのない体験をした。
わたしは、アレクサンドリアのポトマックリバー沿いにある学校に通っていた。ブラッドリー・ショッピングセンターのバス停から大体20分くらいのところだったろうか。住宅街からキング・ストリート駅を通過するとまあまあ栄えている通りになる。そのバスで、わたしは毎度一番後ろの席に座っていた。たまに前の席に座ると睨まれることがあった。居心地が悪い。後ろの席に座っているとたまに若い黒人のグループも近くに座ってきて、めっちゃ話しかけられた記憶がある。バスは、少し前まで前方は白人、後方は黒人が乗るというルールがあったようだ。その名残りがあり、わたしが前に座っていると白人が睨んでくることもあったのだと知った。わたしがワシントンD.C.にいたのは春から夏にかけて。5月下旬のメモリアルデー辺りでプール開きになり、結構な頻度で近所のプールに行って真っ黒になった。そしてパンチパーマだったので、バスで会う黒人がめちゃくちゃ話しかけてくる。アメリカ人にしてみれば、我々は日本人なのか、韓国人なのか、中国人なの分からない。初めは「お前はジャッキー・チェンか?」みたいなことを言われた記憶がある。めっちゃ日焼けをし、パンチパーマでHIPHOPスタイルのファッションだったので、「お前はドクタードレに似てる」ともいわれた。なんかあだ名を付けられた記憶があるがもう忘れた。
わたしがパンチパーマだったのは、近所のブラッドリー・ショッピングセンターにあった黒人専用?ヘアサロンに行った時にパンチパーマにされたのだ。
HIPHOPが好きだったわたしは、REDMANというアーティストのショートアフロみたいなヘアーにしたくて、雑誌か何かの切り抜きを持参しヘアサロンに行った。
店員全員黒人。REDMANの写真を見せて、これにしてくれと言ったら、露骨に嫌な顔をされ、「は〜!?」みたいな感じで、すごく冷たくされ、待たされた。すると奥から東南アジア系、確かフィリピン人の女性がやってきて、「お前、REDMANにしたいのか?」と言われ、施術スタート。フィリピン人は感じは悪くなかった。しかし、終わってみたらショートアフロではなく、パンチパーマになっていたのだ。その時、知った黒人の髪質とわたしは全く違う。お店の人も困ったのか、髪質が同じフィリピン人に担当させ、一番近いヘアスタイルとしてパンチパーマにしてくれたのだ。それを思いっきしほぐせばショートアフロに近づけたと思うのだが、仕上がりがバチバチのパンチパーマだったので、面白くてそのままパンチパーマで過ごしていた。
わたしが住んでいたところは白人地域。スタバやブロックバスターというレンタルビデオ屋、マクドナルドなどがあるブラッドリー・ショッピングセンターがあれば生活ができるし、休日はスプリングフィールドモールやジョージタウン、ペンタゴンシティなどに行って映画やショッピングを楽しめる。でもなぜかコンビニに行きたくなり、近くのセブンイレブンに行った。そこは白人地域ではなく確かプエルトルコ系の地域だったか、そのコンビニで買い物をし外に出ると駐車場に入ってきた車の運転手がこちらに向かって騒いでいる。何を言っているか分からないがちゃっめ攻撃的な言葉を投げかけられた。その時にその地域は白人はあまり寄り付かず、アジア系も行くと危ない地域なのだと知った。
キングストリート駅から電車に乗り遊びに行くこともしばしばあった。その電車の中で、私は初老の白人女性の隣に座った。するとめっちゃキレられ「ファッキンイエロー。座んじゃね〜」と言われた。ショックというより驚きで、英語わかりません〜みたいな態度でずっと座っていたのだが、白人女性の怒りが激しくなるので、次の駅で席を立った。
ちょっと長文になったので、ここら辺でおしまいにしておこうと思う。ワシントンD.C.での体験は上記の内容の3倍近くあるので。他にも「お前の目の色は黒じゃない」と黒人と軽い口論になったエピソードやクラブで白人グループと黒人グループの喧嘩に少し巻き込まれたり、エミネムがボルチモアにライブしに来る時に行こうとしたら黒人にお前は殺されるかもしれないから辞めとけと言われたりエピソードは盛り沢山。しかし、人種差別をする人は一部の人で、白人でアジア人が好きという人にもたくさん出会った。
最後にワシントンD.C.で見た映画で後にVHSまで購入した「LIFE」を紹介しよう。実話で当時の黒人の環境も分かるわたしの好きな映画の一つ
追記:この「LIFE」という映画は、ワシントンD.C.でわたしが人種差別を受けてた時に見ました。黒人の待遇はアジア人の比にはならず、この映画の主人公は冤罪で終身刑を受けた2人が強く明るく生きる姿を見て、勇気づけられたのを覚えています。